長春から北京へ [中国]
吉林から長春へ [中国]
中国 蒸気機関車を中心に 1986年12月~87年1月 [中国]
北京 万里の長城と盧溝橋 1986年1月 [中国]
1986年1月4日、瀋陽からの夜行列車で北京駅に着く。現在では北京西駅ができて、そちらの方が、メインの駅になっている。
ホテルに着いて荷物を置き、バスで万里の長城に向かう。北京だから寒くないだろうと、薄着で行ったら、風が強く、耳が痛て、非常に寒く感じた。
万里の長城の見学地、八達嶺に向かう途中で、道路と線路が並行して走っているところがあり、前進型の単機回送されるのが見えた。
中国人の日本語通訳の方が一生懸命観光ガイドをしているのに、カマの姿が見えると、バスを止めてもらい、撮影の夢中になる。通訳の方には「あなたたち、観光、嫌いなのですね。」と言われてしまう。
この後、明の十三陵にも行ったが写真はほとんど撮っていない。
翌日、午後は帰国だが、午前中は市内観光にあてられていた。どうしても日華事変の勃発地である盧溝橋に行きたくて、車を手配してもらい単独で行った。
この時は通訳がいないので、言葉が通じないのでよくわからなかったが、銃弾のあとらしい。
帰国の飛行機の中では、今年の年末にはまた来ようという話になっていた。
ホテルに着いて荷物を置き、バスで万里の長城に向かう。北京だから寒くないだろうと、薄着で行ったら、風が強く、耳が痛て、非常に寒く感じた。
万里の長城の見学地、八達嶺に向かう途中で、道路と線路が並行して走っているところがあり、前進型の単機回送されるのが見えた。
中国人の日本語通訳の方が一生懸命観光ガイドをしているのに、カマの姿が見えると、バスを止めてもらい、撮影の夢中になる。通訳の方には「あなたたち、観光、嫌いなのですね。」と言われてしまう。
この後、明の十三陵にも行ったが写真はほとんど撮っていない。
翌日、午後は帰国だが、午前中は市内観光にあてられていた。どうしても日華事変の勃発地である盧溝橋に行きたくて、車を手配してもらい単独で行った。
この時は通訳がいないので、言葉が通じないのでよくわからなかったが、銃弾のあとらしい。
帰国の飛行機の中では、今年の年末にはまた来ようという話になっていた。
瀋陽郊外 渾河、蘇家屯機関区 [中国]
今回の撮影旅行のメインである、瀋陽郊外での撮影と蘇家屯機関区の「パシナ」の撮影だ。「パシナ」と満鉄が製造し、特急「あじあ号」をけん引したカマだ。
渾河、勝利型が引く旅客列車
前進型が引く貨物列車
蘇家屯機関区
「パシナ」。この時は自走できない状態だったが、火は入っていた。
現在は「パシナ」はどこに保存されているのだろうか。別の1両は大連に保存されているという新聞報道を読んだことがあるが・・・。
この日の昼食は機関区の食堂で食べることになっていた。ご飯と料理2~3品程度の質素な食事だろうと思っていたら、非常に豪華な食事で驚いた。この時の料理の写真を全然撮っていないのが、今、思うと本当に残念だ。
料理の品数が多く、食べきれずに、皿がテーブルの上に積み重なったいた。
渾河、勝利型が引く旅客列車
前進型が引く貨物列車
蘇家屯機関区
「パシナ」。この時は自走できない状態だったが、火は入っていた。
現在は「パシナ」はどこに保存されているのだろうか。別の1両は大連に保存されているという新聞報道を読んだことがあるが・・・。
この日の昼食は機関区の食堂で食べることになっていた。ご飯と料理2~3品程度の質素な食事だろうと思っていたら、非常に豪華な食事で驚いた。この時の料理の写真を全然撮っていないのが、今、思うと本当に残念だ。
料理の品数が多く、食べきれずに、皿がテーブルの上に積み重なったいた。
瀋陽市内 1986年1月 [中国]
長春駅・瀋陽 1986年1月 [中国]
中国 ハルピン 路面電車を中心に 1985年12月 [中国]
中国 蒸気機関車を中心に 1985年12月~86年1月 [中国]
11985年の年末、年始に中国に蒸気機関車の撮影の旅に出た。自分にとって初めての海外旅行だ。
高校時代の同級生が中心にない、人を集めて実現した。
この時は1回限りで終わると思っていたが、実際には1996年まで8回も中国に行くとは、この時は予想もつかなかった。
北京の1泊して、ハルピンに向かう。
ハルピン機関区
開放型。満鉄時代の生き残り。1D1のミカド型。
勝利型。旅客用の機関車。車軸配置が2C1のパシフィックだ。
前進型の動輪。この時の気温は零下20度近いような気がした。
前進型。動輪が5ある中国の代表的な大型機関車。
ハルピン、松花江を渡る前進型。中国で鉄橋で写真を撮っても大丈夫だろうかとビビりながら写真を撮る。(我々の団体は鉄路局の関係する会社が現地に手配をしているのであまり心配してはいなかった。)
ハルピン駅東側の陸橋から
ハルピン駅のホ^ホームにて
この列車で瀋陽に行く。
高校時代の同級生が中心にない、人を集めて実現した。
この時は1回限りで終わると思っていたが、実際には1996年まで8回も中国に行くとは、この時は予想もつかなかった。
北京の1泊して、ハルピンに向かう。
ハルピン機関区
開放型。満鉄時代の生き残り。1D1のミカド型。
勝利型。旅客用の機関車。車軸配置が2C1のパシフィックだ。
前進型の動輪。この時の気温は零下20度近いような気がした。
前進型。動輪が5ある中国の代表的な大型機関車。
ハルピン、松花江を渡る前進型。中国で鉄橋で写真を撮っても大丈夫だろうかとビビりながら写真を撮る。(我々の団体は鉄路局の関係する会社が現地に手配をしているのであまり心配してはいなかった。)
ハルピン駅東側の陸橋から
ハルピン駅のホ^ホームにて
この列車で瀋陽に行く。